おはようございます。
いつも、5時台に一度目を覚まそうと思っているのだけど、今日は目覚まし前に目が覚めて、ぼんやりした中自己暗示をして、ちゃんと起きられてうれしいです。
エミール・クーエの「あらゆることがますます良くなっている」という自己暗示は、顕在意識がしっかりしてない起き抜けとか寝る前にすると良いそうなので、そうしてます。
やっぱり、良くなっているのですよ!これが。
さて、ここのところ毒親対策をよくしている。
スーザン・フォワードの「毒親の棄て方」、「毒になる親」が手本だ。
以前書いたかなと思うけど、毒親対策をして母親とあまり交流がなくなるのは淋しい。
しかし、多分それはモラハラの元大切なひとと別れたくなかったのと似たことだと思っている。
そしてモラハラ男性と付き合ってしまうのには、母親からの影響が大きいのだから、ここを乗り越えなければまた同じことの繰り返しだと思う。
「何とか仲良く出来ないかな?なんて考えは捨てないとね!」
と盛り上がり、まさにその通りで、何とかなってないことを受け入れることが必要なのだ。
私は関係を断絶するほどの毒親を持っていない、なんてことは多分なく、何らかの対処をすべき相手を家族に持っているのだ。
ふと、そこで思ったことがある。
私の生理痛だ。
私は、生理痛が結構つらくて、その改善のためにアーユルヴェーダも冷えとりも始めたところがあるのだが、その生理痛は、非道い人から見ればそんなに重くない。
しかし、私には長年の課題なのだ、
せめて、もう少し良くなりたい。
軽い月を増やしたい。
「他人にはわからないだろうが、わたしにとってはつらくて解消したい」。
これは今まさに取り組んでいる毒親対策と同じではないか。
だから、「やっぱりそんなに毒親じゃないのではないかな?」とか思わず、幼い頃にされて傷ついたことを癒して行こうと思う。
親に愛されて育ったなあ、この人、という友人がいて、その人と私の決定的な違いは他人との境界がはっきりしているかしていないかだ。
愛されたくないひとにはきっぱりと境界を持てる。それは絶対的に愛してくれている存在があるから。
うらやましかった。
しかし、まったく想像出来ない、その感じ。
パートナーがいる時にそんな感じを持ったけど、それは依存だった。
だから、いつもいつも、何度も何度もチャレンジしてるけど、自分を労って癒してあげることは。すっっっごく大事で、もっとどんどんやって良いんだなと思う。
「こんな心の傷は大したことない」、
と思わせているのは、母親との記憶からの可能性はとても高いから。
でも、母親ですもの、好きで、感謝している。
泣ける話もいっぱいあるんだよ。
人生の毒出しして、ダーリンと出会って、子ども産んで面白家族で生きるよ〜。
では、良い火曜日を!
POI