うそー、10時間くらい寝てるのに眠くて眠くて会社休みたいくらい!!
めんげんぽいなあ…。
そして蓮村誠先生の本をまた新しく読み、ヴァータの乱れなんかも意識した。
ああ、そこでつながるの、っていう。
アーユルヴェーダでの風の性質、ヴァータは(私はそれが一番強い)規則正しくない生活や、長時間の空腹で乱れてしまう。
午後に眠くなるというのは、ヴァータの乱れは結構関係あって。
それで、めんげんの出てる時って、体に溜まった毒が出ているってことだから、また体に入るものや入れるタイミングを考えて過ごすと、次の季節の毒出しが楽かもしれない。
そこでヴァータを整えるという観点も足してみれば良いのか、と考えた。
毒出しの時は無理して食べなくて良いらしいが、空腹でストレスになるヴァータのひとは、規則正しく食べて次の毒出しに備えればよいのかな。
そう、勝手に解釈している。
前置きが長くなったけど、本題へ。
元・大切なひとと別れようと、私としては別れたと思っているのだけど、人格障害を持っているかも、などと少しでも友人に話すと、身の危険に気をつけてねと言われる。
でも私はモラハラ男性と付き合って、身が危険だったことは一度もない。
たまたま彼らは体力がなかったのだ。
(元夫に離婚と引越しが決まり、住所を教えた時「ストーカーとかしないよね」と言ったら「そんな体力はない」と返され納得したものだった)
むしろ、家に来るくらい、私に執着があれば良いのだが、それはないのだ。
よっぽど自分のことだけ好きなんだろな…。
と、この間まで思っていたのだが、多分、彼らは自分のことは嫌いなのだ。
だから他人も好きにはならない。
自分なんかどうでもい人間だと、自分を卑下すると、他人もどうでも良く扱ってしまう。
淋しいな…。
けど、それは、半分は私の鏡でもある。
私にも自分が嫌いでしょうがない時がある。
以前はその時間が多かったと感じる。
こんなに駄目な私を好きになってくれるひとなんていないんだ、と思ってたら居た!だから、恩をお返ししようとしたけど違うと気付けた結婚時代。
私はなかなか素敵な人だぞ、と知ってはいても、そうではない部分を映しての元・大切なひと。
事実からしても、元・大切なひとは、とてもなまけもので、言い訳ばかりして、ネットで文句をたくさん集めていて、おかしなひとと知り合ってしまったのだが、分かり合える気がしてしまった。
その時、共有して行きたいものの一つが一致していたのだ。
でも、これからは勇気を持って、ひとりになって、見極めなければならない。
例えば冷えとりやってるからと飛びついてはいけない。
その時の私から何を映しているか、自分で知った方が良い。
他人を見極めるのではなく、自分を見つめて、決めるのだ。
障害があったっぽい、モラハラだった、でもそれは彼らのことだけど、私を映していて、その彼らが私に彼らのやり方で接して来る。
自分から巡って、自分に返ってくる。
だからって全部私が悪いんじゃないけどね。
でも、パートナーに映された私の一部は、私の奥底のお冷えさまくらい強大なものかなと感じている。
私はそれに立ち向かうのではなく、あたためて行きたいと思う。
あらためて、私のパートナーだった方に感謝したい。
あとウニヒピリにもね!
午後の眠さもあたためて行けるかな笑?
ではまた明日。
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