風呂と白湯、あとビール

今日はとりあえず寝よう。朝になったら白湯を飲んで、風呂に入ろう。

1月のこと(6)


1月18日

今日から姉は仕事なので、弁当を作る母は早起き。
私も合わせて朝ごはんを食べ、姉を送り出す。

この日から地方風の「やませ」が吹いて、天気が荒れるので、午前中に銀行関係をやっつけようと母と出かけた。
公電返しも一気に郵送。

高血圧が悪化してるようなので、母の内科にも寄った。

帰る頃にはすごい強風で大変だった。

昼ごはんを食べていると姉が帰って来た。
吐き気がするということで、早退してきたのだった。
やませがやむまでお休みだね、と母が会社に電話する。

1月19日

やませがやみ、また朝は雪かき。
次の日東京に帰るので、いっちょかまくらでもつくるかと、つくり始める。

自分の背丈ほど雪を重ね、中はベンチタイプにし、やりきった感満載。

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(途中)

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(完成)

珍しく、姉も見に来た。
3Lサイズを着こなす姉と母も座れるように設計したかまくらだったが、ふたりは中に入ってくれなかった。

このかまくらは、最近、重機が入って、屋根から落ちた雪の雪かきと共に消滅してしまったらしい。

でもそれは想定内。楽しかった。

1月20日

函館に向かおうと最寄りの駅へ行ったら運休していた。
代行バスが出ると言うが、飛行機までの時間が不安とのことで母が送ると言ってくれたので、五稜郭公園あたりまで送ってもらう。

六花亭の喫茶で昼ごはん。

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私はお強飯定食、母はパンケーキ。
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六花亭のお店の喫茶は、コーヒーがセルフサービスで無料なのが、とても良いと思っている。

送ってくれた途中、「お父さんが、お母さんと長くいる時間くれたんだね」と言ったら、やっぱり泣いてしまった。
いつもより、東京に帰るのが淋しかったから、運休になって感謝した。

死んだひとはすごい。

何故か、亡くなってから、父は私のそばにいる気がするのだ。
これ、前にも書いたかも。

羽田空港に、年末に私を送ってくれた大切なひとが迎えに来てくれた。
なかなかそういうことをしてくれるひとではないので、今回は特別だと思った。
北海道にいる間も、ずっと、気にしてくれていた。

東京に着いて、父のことを話して泣いた私を優しく見守ってくれた。

次の日も休んで、会社に復帰した。

朝、電車の中で、父のことを思い出して泣いてしまってどきどしたが、ちゃんと仕事出来た。



これから私は、父を想って何回も泣くだろう。
しかし、それでいいのだ。

そう思って暮らしている。

楽しいこともある。

父は生きていた。彼の子どもとして生まれて、私は生きている。